あいちトリエンナーレ2016を記憶する Vol.1【対談】拝戸 雅彦さん、黒野 有一郎[後編]
続いて後編をお楽しみください!
第1回・2回のあいちトリエンナーレはキュレーターとして参加し、3回目となる今回はチーフ・キュレーターとして全体を切り盛りしてきた拝戸雅彦さんと、豊橋駅前大通地区まちなみデザイン会議(駅デザ)の事務局代表であり、大豊商店街理事長の黒野有一郎の対談を前後編でお届けします。
学校関係へのアプローチについて
拝戸 >あと、学校かな。もう少し中学生や高校生がトリエンナーレを見に来てもよかったかなと。
黒野 >そうですね、学校へのアプローチは重要ですよね。学校って言った時に、一番見せたい年代は?
拝戸 >現代アートを見て一番驚くのは、中学生と高校生かなと。こんなの見た事ない!というのを素直に受け止めてくれる。それを言葉にできるのが中学生からかな。
黒野 >蒲郡や豊川の学生さんが先生と一緒に来てたとかは有りました。
拝戸 >もっと組織的に、みんなに見て貰えば良かったな。アーティストやキュレーターが行って説明するとか。こんな面白い事があるんだよという事はやれたら良かったかな。
黒野 >山田うんさんが豊橋市立くすのき特別支援学校に行ってますよね。あのような活動とか。
拝戸 >そうですね。オスカー・ムリーリョのプロジェクトが石巻小学校とブラジル人学校に行ってます。
黒野 >どうだったですか?
拝戸 >オスカー・ムリーリョ自体はとても良かったですよ。とても評判が良かった。ブラジル人学校の存在がとても良かったですね。同じ都市に住んでいても日本人とは違う世界を持っているんだなと思いました。全然ちがう傾向の絵を描いてました。学校へのアプローチもやってはいるんですけど、大きく花開かなかったという気はする。もっと力を入れて若い層や子供たちに来て貰えるようにしたい。
黒野 >中学生とか高校生って一旦校区や地域から離れられる人たちなんだよね。だから、防災訓練やっても災害の時なんかには一番力になる人たちと云える。小学生までは父兄とか校区と一緒だけどね。ただ学校自体が部活を含めて忙しいので、カリキュラムとか強制力をもったアプローチが必要かと。都会の高校生は外のコミュニティーともつながりがあったりするけど、この地域の中高生は、学校にとらわれている。だから、こんなことあるんだよと、もっと言ってあげないと広がらない。大半が駅を通過しないで通学ができてしまうので、気づかずに終わってしまう。豊橋まつりの造形パラダイスはどうですか?
拝戸 >残念ながら参加出来なかったです。豊橋まつりのパレードには大巻さん模様のプリウスが参加しました。
黒野 >僕らの商店街のパレードに一緒に参加してもらった。とても良かったですよ。
拝戸 >結果論だけど、学校へのアプローチですね。もう少し高校生、中学生が楽しんで貰いたかった。無料の場所が結構あるし、レアンドロの所なんかはクリエイトが出来たと思うので、高校生こそ来て欲しかった。レアンドロ自身もそういう事を想定してたから。そいう動きが作れなかったなと。
アニマル・レリジョンは3日間やって、あっという間に倍々の人が集まった。特にファミリー層、ベビーカーのまま参加してくれたり。伝わる所には伝わったかなとも思う。PLATではどうしても劇場の中のパフォーマンスしか出来ないけど、アニマル・レリジョンが屋外での新しいパフォーマンスのひとつの突破口になったかなと。
黒野 >PLATの大巻さんのツボが有ったところには、現在ダンボール造形作家である玉田多紀さんの作品が天井からぶら下がってるんですよ。
拝戸 >トリエンナーレがキッカケ作りになったかな。大巻さんの作品が結構巨大なものでしたので、存在感があったかもしれないけど、あれくらいはやらないとと思ってました。
黒野 >PLATは駅に近いから待ち合わせにも結構使う所で、大巻さんの作品の前に背広族がいっぱいいた時は、この不思議な光景は何だ?面白いな、と思ったりしました。
拝戸 >何故ここにこれが有るんだろう、ずっとここにあるのかなと思わせる風景ですよね。大巻さんの夜光るスペクタクルな作品を置いて、色々な事がやれたし、やらせてくれた。それは豊橋という場所からのプレッシャーというか。ここに来させたいという思いがあったからで、結果的には出来たし、成功したかなと思ってます。
豊橋ってゆっくり変化している街って感じがする。大きな変化はないけど、水上ビルにも新しいお店が出来たりして、ナチュラルに進化してるというか、自然な動きだなと。その方がいいかなと思うんですよ。
黒野 >車で移動すると加藤君が豊橋って空が広いんだよねと言うんだよ。拝戸さんも空が広いんだよねと言ってましたよね。
拝戸 >空も広いんだけど、音がキレイなんですよ。豊橋ってノイズがないんです。BGMが流れていないから遠くの音が良く聞こえる。それはホントに大事にした方が良いと思う。港さんも良く言ってた。人の声が良く聞こえるんですよ。名古屋の街ってそれに比べてものすごいノイズなんですね。
黒野 >港さんの話が出ましたけど、今回港さんが監督ですが、港さんの人柄による部分が凄く大きいかなと思ってるんですよ。こんなに会場に足を運ぶ監督っていないよねと。
拝戸 >彼自身が旅する人なんです。常に旅をしている。文化人類学をやってるからかコミュニケーション能力が凄い高い人ですね。フラットな感じというか横につながっていく感じは港さんの人柄でもあるし、今回特に僕らがやりたかった事なんですよね。あるシンボリックなものをどーんと建てて、教えられるとか学ぶという環境じゃなくて、自然にコミュニケーションの中で水平に移動してゆく楽しさというか。
黒野 >1回目はどーんといって、2回目は勢いもあるけど、3回目というのは4回目に続くか?という分岐点でもあるし。
拝戸 >雑誌なんかでも3号で終わるとか3代目で会社が潰れたりもあったりするので、難しいタイミングでもありますよね。次はどうしたら良いかという。
黒野 >どういう手法でやるんでしょうか?ということでしょうが、さっき言ったように派手なものを投入してとやってると、少し疲れてしまう。港さんのようにつながりというか、広がりというか軽くやってる感じがする。大上段じゃない感じがするので。そこが上手だったし。今まであまり日本で紹介されてない国のアーティストが多かったのでしょうか?
拝戸 >ブラジルのアーティストって日本から遠いという事もあって、これまではあまり紹介してこなかった。元々南米での活動を出発点とする港さんが来て、南米のアーティストを紹介する事ができた。現代美術の中心はやっぱり、ヨーロッパと北米のアメリカになりますよね。そこから離れていこうという所があったから、今回はキューバのアーティストにも来て貰いました。ブラジル人のキュレーター、ダニエラ・カストロが加わったのも大きいですね。
黒野 >それが凄い良かったですよね。他の芸術祭との違いもあったし。
拝戸 >中東や南米に目を向けようとしました。国内でも北海道や沖縄。一方で地元。味岡さんのようにこの豊橋を中心にして粘り強く活躍されている方なども紹介する。広がりのあるというか、中心を作らないという風にはしたんですけどね。1回目はばーんと打ち上げ花火をあげるような感じで、2回目は震災があったので、社会的なテーマに向き合う必要はあった。3回目というタイミングで少し広がってゆくイメージが作れたと思う。トリエンナーレは一回毎に完結してゆくんだけど、流れのなかで次につなげて共有されるものもありますよね。名古屋、岡崎、豊橋という会場で港さんのコンセプトが展開出来たのは良かった。
拝戸 >豊橋はね僕のイメージとしてはより東京に近い場所なんですよ。関東からの入り口なんだよね。
黒野 >そういう見方をされてましたね。
拝戸 >ここを入り口にして岡崎、名古屋へ入っていくという見方もあるかな。逆に名古屋に一旦入って、豊橋に抜けてまた関東に戻っていく。豊橋という場所がとても便利な場所という認識はできたんじゃないかと。皆さんのおかげでバランスよく展開出来たかな。冒険も出来た。豊橋というまちがあいちトリエンナーレを体験できて本当に良かった。
黒野 >有難うございました。
拝戸 雅彦 Masahiko Haito
あいちトリエンナーレ2016 チーフキュレーター
愛知県県民生活部文化芸術課芸術祭推進室主任主査。
1991年名古屋大学文学研究科博士課程後期美学美術史専攻中退。1992年10月から2008年3月まで愛知県美術館の学芸員として勤務。美術館で開催された現代美術展に関わる。愛知県が「あいちトリエンナーレ」の事業を立ち上げた2008年から現在の芸術推進室に異動。「あいちトリエンナーレ」の第1回、第2回(2010、2013)にキュレーター、第3回(2016)はチーフ・キュレーターとして関わる。
あいちトリエンナーレ2016 チーフキュレーター
愛知県県民生活部文化芸術課芸術祭推進室主任主査。
1991年名古屋大学文学研究科博士課程後期美学美術史専攻中退。1992年10月から2008年3月まで愛知県美術館の学芸員として勤務。美術館で開催された現代美術展に関わる。愛知県が「あいちトリエンナーレ」の事業を立ち上げた2008年から現在の芸術推進室に異動。「あいちトリエンナーレ」の第1回、第2回(2010、2013)にキュレーター、第3回(2016)はチーフ・キュレーターとして関わる。
黒野 有一郎 Yuichiro Kurono
トリエンナーレ部会
建築家/sebone実行委員長
1967年愛知県豊橋市生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業後、野沢正光建築工房を経て、2004年一級建築士事務所建築クロノを設立。同年より始まった都市型アートイベント「sebone」に参加。現在、水上ビルの商店街理事長を務めるほか、駅前デザイン会議「トリエンナーレとよはし部会」を主導するなど、自治体・行政と連携した「アートによるまちづくり」を展開している。
トリエンナーレ部会
建築家/sebone実行委員長
1967年愛知県豊橋市生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業後、野沢正光建築工房を経て、2004年一級建築士事務所建築クロノを設立。同年より始まった都市型アートイベント「sebone」に参加。現在、水上ビルの商店街理事長を務めるほか、駅前デザイン会議「トリエンナーレとよはし部会」を主導するなど、自治体・行政と連携した「アートによるまちづくり」を展開している。
2016年12月[text:S.Hikosaka]
会期は終了しています。記録として掲載しています。